ペニンシュラ型

~私とあなたの不可避な壁~

魔法ではなくカガクの力だ鞍馬寺 『京騒戯画』3話

前回こんなことを書いていたのですが、

特に元々コトと先生がいた世界がどういうものなのかという説明がこっそり出ているのですがそれはあんまり大きくクローズアップされることはなさそう。

すまんありゃ嘘だった。今回のオチがそれでした。
うーんとはいえだからと言って、それがゆえに家族の再会が出来るかという問題に行くかなー難しいところ。
あと子供たちが黒兎であることも知ってた、これはひどい
そんなわけで今回もでたらめなことを書き連ねていきましょう、第三話『長男と愉快で科学な仲間』


この作品の物語の目的はたびたび繰り返されておりますが、ある一家の愛と再生の物語なのですが、それはあくまで物語の大筋であって、個々のキャラクターのやりたいこと、願望とそれが一致するとは限りません。
文字通りキャラクターの「やりたいこと」と「やるべきこと」が一致する作品もたくさんありますがそうでない場合には、物語が終わった後のキャラクターたちのその後が分からないことがあったりします。*1そういった作品がダメであるとか自分が嫌いであるという訳では決してありませんが、そんな未来が垣間見えるのは好きだったりします。エウレカセブンで主人公とヒロインが結ばれて終わりでなく倦怠期?まで描いたみたいなの。


という訳で今回は、鞍馬を筆頭とした科学組がどうしたいのかということが描かれた回でした。
こうなってくると彼らのルーツが気になって参りますね。絵に描かれた人たちもたくさんいるんでしょうが、まんま神社所属だったらしい伏見やショーコを指しての鞍馬の台詞「彼女がここにきてから初めて〜」からということで、後からどんどんやってきてる人たちもいるということが分かるわけですが、両親がいなくなってから外から絵が書き足されたりすることがあるのか、詳細が分かっていない駅開きでやってきたものなのかとか色々想像が膨らみます。ショーコのビシャマルのレトロアニメはどういうものなのか。ショーコたちを元に作られた作品なのか、もしくはあのアニメからショーコたちがやってきたのか、とかね。
「コトたちの様な客人」は初めてと言われていますが完全にイレギュラーな来訪者はコトだけということでしょうか。


さて、この登場人物たちの願望を描くという点で上手いのは、要するにコントローラをなくして泣いているショーコというのはお人形をなくして泣いていた八瀬と同じなんですね。
でも三人で世界を守っていくために八瀬は人形と決別させられた→大人にさせられてしまったわけですね。
では大人にさせられてしまった八瀬が今願っていることはなんなのか、というのが次回描かれるはずなのですがそのつなぎという意味でもショーコとにらみ合う八瀬というのは面白いですね。予告では捨てられない大切なものがたくさんあると述べていますが、大人服を着せられているだけで内面自体はやはり子供であるのか。その点で言うと、子供の頃から変わらぬままの願望を抱き続けている鞍馬も背伸びをしているだけということなのかもしれません。
だっても明後日もないと、兄弟を窘めている長男ですがそれもやっぱり大人服なのかも。
というかそもそも家族にとっていつまでたっても子供はこども。そういうことなのかも。


画面で言うと、一番好きだったのが、三人議会後の鞍馬と八瀬のやりとりの場面でしょうか、最初画面右側にいる八瀬ですが、会話を通してぐるっと位置が逆転する。とても自然なのですが、どっちが駄々をこねてるのかしらというのが分からなくなる素敵な作り。


そういえばこの作品いわゆる男女のセックス的な性差を現実ほどあんまり意識していない世界なのでしょうか、あるいはコトが特別なのか、長男であったり子息という風に呼ばれていますが、まな板トークがあるように女性としても認識されている感じ。その辺り、予習編にあった「わが王」の台詞につながったりするのでしょうか。
そんな感じで、兄弟にスポットをあてる回が続きます。続くッたら続く。

*1:表現を借りたスタドラなんかはむしろ物語自体が次に進むため(ワコが島から出れるようになることが)の道程であったのでこの辺りはだいじょうぶでしたが