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テニス経験者から見る、最近のベイビーステップの面白さについて

ベイビーステップ(7) (講談社コミックス)

ベイビーステップ(7) (講談社コミックス)

当然ながら、単行本派の方はネタバレ注意。


一応のテニス経験者としての感想を書いているつもりですが、経験者とはいっても初心者に毛が生えたレベルなのでツッコミどころはあると思いますが、多めに見てください。
マガジンで連載している地味テニス漫画の『ベイビーステップ』ですが、今週もすごく面白いです。
数週前から主人公がアメリカのテニススクールに短期テニス留学をしにいってるわけですが、この辺りの展開がとても素晴らしい。
今週号なんか主人公のエーちゃんが全くいいトコなしで反撃することもなく負けてしまうわけですが(しかもたった一話だけで)、その結果に至った理由、そしてそこから予想される今後の展開というのが、実際にテニスについてある程度知識を持っている人からすれば非常に面白いのです。



今週号のお話で一番大事なことは、エーちゃんの試合を見ているギャラリーの他の選手たちがエーちゃんのことをアジア(日本)から来た選手だからとナメてみてかかっていること。
まぁそのとおり、エーちゃんはボロ負けしてしまうわけですが……


〜スポーツもの少年マンガとしての異質性〜


さて、このことについて書く前にまず『ベイビーステップ』という作品の異質な点について述べねばなりません。
この作品が他のスポーツマンガと大きく雰囲気を異にするものであるという感想はいろんなところで見ますが、その中でもあまり触れられていないことがあります。
それは、この作品が少年マンガでスポーツを取り扱い、主人公が高校生(学生)であるにもかかわらず、部活動ものではない、ということです。
事実、少年誌で連載されているスポーツもの作品は十中八九、部活動を通してそのスポーツを行っていくもので、これにあてはまらないものはたいがい格闘技だとかゴルフだとかあんまり学校にクラブが存在しないスポーツであったりするものです。


では、ベイビーステップが部活でテニスしていないということが何をもたらしているかというと、学校生活の描写の省略ができテニス面だけにクローズアップできるとか、プロを目指すという作品においてムダな団体戦の描写をとらなくてすむ、などなどということがあります。
しかし、何より大事なのはテニスに関する知識をもつ読者に対する説得力が増す、ということです。


そもそも近年において、日本人でプロテニス選手を目指す人の中で、高校テニスを経験している人間はものすごく少ないんですね。
というか、何より日本には選手を育成できる環境に恵まれていない。これはどのスポーツにも言えることかもしれませんが、日本人の体格的な問題だとか、場所的な問題だとか、スポーツマネジメントやスポーツ選手養成に関するビジネスが発展していないだとか色々な理由があるのでしょうが、詳しいところはよく分からないので口を濁す。
そのため、プロを目指す選手はほぼ確実に海外での練習や合宿を、それも数度にわたって経験するんですね。
たとえば、リアルテニスの王子様だとか騒がれた錦織圭選手なんかも中学生の時には既にアメリカに拠点を移してアガシだとかシャラポアを輩出したニック・ボロテリーテニスアカデミーで練習をしたりしていたようです。
そのため、当然ですが高校テニス大会には参加していません。


プロテニス選手になるには海外での練習経験がほぼ必須となる現状において、プロを目指す選手が時間を学校で拘束されがちで且つ、個人指導が難しい学校のクラブ活動に参加することが非常に珍しいことだということが理解できたでしょうか。
ですので、インターハイでかなり上位の成績を残すような選手でも世界を相手に戦っていけるような選手に育っていくことは難しいようですし、このあたりの事情を知って今回のエーちゃん留学のエピソードを見ると面白さがかなり違います。



余談ですが、この視点で作品を見た時に、許斐先生が意識して描いてらっしゃるかはともかくとしてテニスの王子様は意外と現実的な事情に即して描いてあります。
まずリョーマたちは中学生であること。日本では中学校で硬式テニス部があることがまず稀ということもあり、大会の規模が小さかったり、中学までなら時間の制約もそれほどなかったりということでプロを目指す人でもギリギリ部活動にも参加できます。
そしてリョーマなんか一話の時点で留学経験者ですからね。
で、スクエアで始まった新〜については高校生のキャラも出てきますが、インターハイだとか所属高校に関する言及は一切ないんですね。
世界大会を目指すにあたって、ただ年齢が適正でテニスが上手い日本人選手*1を連れてきてるだけで部活に所属しているかは描いていない。
そしてさながら本当のテニスアカデミーのような施設の中での合宿でメンタルコーチまでいる。
さすがテニスコーチ経験者が実際に描くと違う。



〜日本のテニス事情と世界のテニス事情〜


次に、今回のアジアから来たばかりの選手(エーちゃん)をギャラリーが侮った目で見ているということに関して。
アジアでは全体的に前述の日本と同じ様に、プロを養成するのが難しい環境にあるというのもありますが、それよりも指導方針や試合での選手の精神面などとというものに関して欧米諸国と大きな違いが見られます。
特に日本では、インターハイなどの試合を見ていても分かりますが、まだまだ「相手より先にミスをしないテニス」に重きを置いていることが多いように私は感じます。
これは作中のエーちゃんのテニスとほぼ同義であり、またこれが世界でプロとして戦っていくためには少々厳しいスタイルでもあるのです。
ボールやラケットの技術の発達により一昔前から大きく変化したテニスというスポーツの様相ですが、現在プロの世界で求められているのはロジャーフェデラーのようにどんな状況にも対応できるオールラウンドな能力とともに、ラファエルナダルのような強力なパワー(スピン)やアグレッシブな攻めの精神です。*2
こういったオールマイティな技術と攻めのための技術、メンタルというのが現在プロの世界では要求されているといえるでしょう。
既に、作中でも語られているとおり、攻めに転じるということは相応のリスクを負うということで、これはいくら練習しても消えることのない問題で、また「相手より先にミスをしないテニス」に立ちはだかる壁でもあるのです。
ですので、エーちゃんをほかの選手が侮って見る、実際に簡単に負けてしまうというのは現実的にも当然であることなのです。


〜エーちゃんのこれから。〜


最後に、エーちゃんの留学が“短期”であるということと、その序盤でエーちゃんがボロ負けしてしまったことの重要性について。
今回えらくあっけなく負けてしまったエーちゃんですが、流石ノートの鬼、既にアレックスのテニスの特徴ひいては彼のプレースタイル(当然メンタル面も含む)を捉えています。
ここで効いてくるのが、留学が短期間であること。いくらマンガとはいえそんな短い期間の間でボロ負けした選手に勝てるようになることは普通スポーツではありません。
しかし、テニスというスポーツは直前にぼろ負けした相手との試合であっても、相手のスタイルや意識を知ったり、また自分自身の試合の組み立て方を変えるだけで、思った以上に簡単に勝利を得ることが実際にあるスポーツです。
となると、今後エーちゃんが今回負けたアレックスにも(実力的には今のままでも)リベンジできる可能性が見えてくるってことですよ。これはとても説得力がある。
テニスの試合におけるプレースタイルや精神の切り替えの重要性、非常に地味ですがこれをたった一話で表現してしまえるんですからそりゃ面白くないはずがないんですよ。



こんな感じで経験者目線から見る『ベイビーステップ』でした。
他にも今回はサーブ&ボレーはレシーバーを収えこめるサーブを打ててからこそ使える戦術であるとか経験者的に気になるとこが出てきていたりするので、ぜひ周りのテニス愛好者の方にでもこのマンガを薦めて頂ければと思います。
本当によく出来ている。

ベイビーステップ(1) (講談社コミックス)

ベイビーステップ(1) (講談社コミックス)

 

*1:クラウザーさんとかは漢字で名前書いてるので帰化ずみ?

*2:深読みするなら、難波江くんはフェデラー的選手、池やアレックスはナダル的選手とも考えられるかも