ペニンシュラ型

~私とあなたの不可避な壁~

いきなり急展開だけど遂にここまで来たよ、おぉ麗しの都よ母が帰ってきた 『京騒戯画』6話


今回で遂に予習というか、これまでの既存展開で示されていた内容に追いつきました。
楽しみにしていた第6話『二人が計画し一人が悩む話』でございます。
ある意味、京騒戯画はここから始まったともいうべき節目のストーリーをやりながら、逆にその始点とは違った要素があって盛りだくさんの回でした。
それに合わせてOPなども微妙な変更点が。これからまさにお話が動きだすということで期待を煽ります。


逆に0話の時とは意外と色んなところの設定が変わっていることがはっきりしましたね。
この二人の計画の時点で既にコトと3人が自分たちが兄弟であることをほぼ確信しているというのが一番大きい変更でしょうか。
おかげでコトの気持ちは分かる、という台詞のニュアンスがかなり変わっていますね。さらには本人は意識してないでしょうが伏見の「派手な兄弟げんか」の意味にコトも加わっていることになるとは。
そのために稲荷の暗躍?や女の人にキスされたなどがカットされたのもちょっと残念ですが、稲荷についてはついでに帰ってくるときに何か説明がもしかしたらあるかもしれませんね。


前半では前回の回想に補足する形で明恵、というか薬師丸についての紆余曲折についての説明が入りました。
心臓として石榴を描いて口にさせる、というのは面白いですね。石榴の半分を明恵が持っているのも気になります。コトのザクロを食べるイメージシーン、先生が若返っていることとも関わりがありそうです。
あの石榴の絵自体が明恵の血で書かれたものですし、ピングドラムのごとく「運命という名の果実」を分け与えたのかもしれませんね。ザクロ(命)の残りをコトに分け与えたがために先生が若返っているとも考えられますし、創造主の命が削られているから鏡都の崩壊が近づいているという見方もできるかもしれません。彼の血で描かれた心臓を持つが故に他の二人ではなく、薬師丸が「明恵」を継ぐことが出来たというのもあるでしょう。
絵を本物にする(命を与える)のに明恵の記名が必要というのは個人的に自分の大好きな「亡念のザムド」を思い出しました。
有名なハデスとペルセポネのザクロの逸話がありますがイザナギイザナミ神話と同類系の死後の世界の食物を口にすると死後の世界の住人となってしまうというものの一つですね。この様に扱われる石榴を逆に生き返らせるために使うというのは面白いと思います。古都への「それは生者のためのものではない」という台詞もこの石榴の逸話を意識したものであると思いますが、そうなってくると薬師丸はどちらの世界の住人なのでしょう。
人かそうでないかという風に問われると自信で言っていたように化け物のカテゴリに入ってしまうかと思いますが、そうなると八瀬の「人間風情が」も気になりますね、この辺りの紆余曲折を後から来た兄と姉は知っているのでしょうか。知らないのならそれが故の薬師丸の葛藤もあったのでしょう。


今回の演出面の白眉といえば、台詞なしで描かれる薬師丸と明恵、古都の関わりでしょうか。しれっと場所が鏡都に変わりつつ、絵と距離感だけで薬師丸が二人に打ち解けていく様子が描かれるのも見事ですが、ここで注目すべきは位置関係ですね。
最初孤立している薬師丸が左側にいて、場面展開もあってずっとそういうわけではありませんが、基本的に右側に寄っていき、打ち解け、兄弟も増え家族になっていくのですが、最終的に明恵と古都が今度は左側に行ってしまい、関係が断絶する。
ここは見事です。餌付けとか洗脳というコメントも見かけましたが、変わっているのは薬師丸だけではないんですね。実は石田明恵も変化していっている。
1話にてギャグ描写とはいえ仏に「あの明恵」とまで言われており、今回の描写で視聴者から見ても明らかに尋常ではないというのがはっきり分かる彼も、古都がいた右側に対して左側に元々は立っているんですね。或は変化が始まっていたからこそ、異常に思える「拾ってくる」行為が出来るようになっていたのかもしれません。
無造作にまさに土足で薬師丸の血を踏みつけていた明恵が父親としての自覚を持ち、実は薬師丸より先に彼が近寄ろうとしている右側の存在になっている。この辺りはまさに薬師丸に彼が「息子」の役割を与えたように、自身が「父親」としての役割を持ったが故でしょう。「あるべきようわ」が実践された一例ともいえるでしょう。
この親子の役割を演じている内に本当に父子の関係になっていくというのは松本理恵監督の前作「映画ハートキャッチプリキュア!花の都でファッションショー・・・ですか!?」の男爵とオリヴィエ(ルーガルー)と同じテーマですね。『「家族」の誕生と再生』という点では共通したものをもっているというか松本監督はこういったテーマが好きなのでしょうか。
そういえば男爵とオリヴィエの関係が構築されていくシーンも台詞なしでの描写でしたね。あの辺りや「だいてんしみかえるさま〜」から始まる出会いのシーンが私はとても好きです。


閑話休題


これに対してコトと明恵の位置関係は巧みに左右が入れ替わっています。明恵のお願いを受諾するかなども絡んできますが、どちらかというと兄弟かもしれない彼女との距離感を測り兼ねている明恵の心象を表している様にも思えます。
しかし、古都の絵を見たコトの嬉しそうな感じが良いですね。先生に語った「ママが綺麗だと良いな」という希望が叶った(後から事実が変わったわけでないのでちょっと変な言い方ですが)のですから。
にしては父親に対する子供たちの反応の薄さよ。次回サブタイだってついで扱いですからね。
ついでの父親も含めつつ、両親がそろい、EDの入りも完璧で次回に参ります。
さぁなぜこの家族が一緒にいることは出来ぬのか。そろそろ終盤でございます。たのしみ

京騒戯画5.5話を見て

今回は内容について書かないんだけど、この5.5話『京都実録編』を見て面白いなぁという意見がたくさんあるのなら(自分も実際にそう思ったのだけど)毎回自分が書いているような、画面の見方とか解釈(の可能性)について文章書いても面白いと思ってもらえるよなーと考えたり。


絵のモデルになってるものを見てへえーとなって楽しめるのなら、どうしてこのパートはこんな画面になっているのか考えるのも楽しいよね、というお話

Surface2の外部出力とか


Surface2買ってしばらく経ちますが、いろいろ活用出来ております。
Type Keyboardにしたのもあってタイピングも楽に出来ております。ちょっとキーの幅が独特なので慣れるのにちょっとかかりましたが。


さて今回の本題です。タブレット型とはいえやはりノートとしての使用を考えてのSurface購入でしょうから、プロジェクタなどとの接続する必要があったり、家で使う分には少し小さいディスプレイを補うためにサブモニター(大きさ的にはサブでないかもしれませんが)と接続したいと思ったりする人も多いのではないかなと思います。
私もそうなんですが、意外と外部出力コネクタについての情報がないんですね、Surface……
という訳で今回自分が購入したものをちょっと紹介したいと思います。


上記の製品がいわゆる純正品にあたるわけですが、やっぱりちょっと値が張りますね。
ちなみにSurfaceRTとSurface2のコネクタ、SurfacePROとSurfacePro2のコネクタがそれぞれ同じものになっています。RTシリーズ?とProシリーズが同じですね。
2とPro2はコネクタ違いますから注意。
で、結局公式サイトなどに載っている搭載ポートのMini DisplayPortとかHD ビデオ出力ポートって何なんだという問題があるんですね。
Proシリーズに搭載されている前者のMini DisplayportはMac製品についているいわゆるThunderboltに対応している製品だと扱える模様。間違えてこちらの変換ケーブルを一度買ってしまったのは内緒。
こちらについて書いてるブログなどはいくらか見受けられました。


そしてRT機に搭載されているHDビデオ出力ポートはHDMI規格でいうところのDタイプに当たるものでした。Cタイプに当たるminiHDMIではなく、microHDMIですよ。間違えないように。
というわけでSurface2で使用するためにAmazonで以下の製品を購入してみました。

Vodaview PCモニタ対応 MicroHDMI to VGA変換アダプタ バスパワー 白

Vodaview PCモニタ対応 MicroHDMI to VGA変換アダプタ バスパワー 白

これだと純正品の半額以下で手に入りますね。
VGA変換ですからいわゆるD-sub端子と接続できるように変換してくれるケーブルです。
購入してみましたが、Surface2で使用してモニターやプロジェクタと接続出力することが出来ました。
ただ接続が悪いのか私のものだけなのか相性が悪いのか、接続中に機器を動かしたりすると画面がブラックアウトすることがあります。
まぁ基本的に接続して使う時に機器を動かすことはないと思うので個人的には特に問題ないのですが、気になる人はいるかもしれません。
あとちょっと短い気がしますが変換ケーブルなのでこんなものなのかも。


というわけで今回はVGA機器とSurface2の接続が成功しました。microHDMIとHDMIの変換機器も機会があれば試したいと思います

説明なんかなしで良かったです 『京騒戯画』5話


巷での評判も素晴らしく良いみたいで自分も楽しめて非常に満足している5話でございます。
サブタイの『若き三男の悩みと始まりと終わり』が本当に今回の内容を表してるのが良いですね。薬師丸でなく彼の家族としての、明恵としての始まりと終わりについて。
公式サイトやニコニコ動画配信ページでの、普段はちょっと説明しすぎじゃないかというあらすじも端的で非常に良い。
八瀬の台詞にもありましたが、子供たち三人はそれぞれ両親の帰還を待っているのだけれどその動機が違う、そして明恵の動機とは…という回でございました。


今回は本当に画面作りが冴えまくってますね。
個人としてのアイデンティティの授受をDNAで表すのはとても現代的と言えるし、さらにそれを数珠に見たて、また「家族」としてのつながりの理由とするのもしびれます。
ちょっと考えすぎかとも思うのですが、この「明恵上人」の受け渡しをしてるのは左腕なのですけど、一方でイメージシーン?前にも書いたようにバラバラになった家族を意味する割れた石榴を持っているのは右腕なんですね。
明恵上人」ではなく彼自身が割れた石榴を持っていてコトがその左腕をはたきおとし、一緒にザクロを食べる。『回るピングドラム』の「運命の果実を一緒に食べよう」というシーンを思い出した人も多かった様です。


食べる、というか飲食に関して今回の話では契約、願いとものを食べることがセットになっていますね。
自分の望みを叶えられない明恵は飲みたくないジンギスカンオレを飲む羽目になり、明恵にとって芽がないコトの女の子を外に連れて行ってあげるという話、そして未だ果たされない父との約束はその様な食べ物の受け渡しがされてない。
一方で嫌々ながらも笑彼女さんからのチョコを受け取ったコトは、明恵を助けてほしいという彼女の望みを叶えてあげるのでしょうし、母親を探すという点で同意するからこそ割れた石榴をコトは食べるのでしょう。
そういった関係が出来ているから、肉とかコトの食べたいものを作ろうと彼女さんはしてくれますし、仲直りはしたけれどまだ「腑に落ちてない」明恵は食事を作ってあげようとするけど、それはコトの食べたいものと噛み合わない。
ジュースの売り切れに文句を言うコトも含めてこの辺りは本当に面白いと思います。


ちょいちょいある明恵目線での画面も良いですね。最初に阿吽の方にカメラを向けて頭を落とすカットを入れて、これは明恵の見てる画面だよというのを示しておいて、つい怒ってしまって目を泳がせるカットを入れる。顔を描かずに気持ちを表す上手い方法だと思います。
すすき野原のシーンもそうで、約束についても家族についても先に行くコトを後ろから嫌々ながらちょっと距離をとって追いかける?ついていく?訳ですが、ここでアニメならではの嘘というか「始まりと終わり」を連れてきたという事実が腑に落ちた彼が一瞬で音もなくその距離を詰めてコトを捕まえる。すごく印象的です。
ついでに言うとそれまでずっと、画面に対して駅開きの電車とは反対方向へ進んでいた向いていた明恵が最後の台詞を言うにあたって電車が進んだ方向を向く。
位置関係で似たようなことを言うと、このすすき野原のシーンにおいて明恵は基本的に中央からやや右気味に顔が描かれることが多かったのに対して、最後の台詞でもっとも左によった位置に立ち、語気を強める、視聴者への印象を強めるというのは地味ながら効果的ですね。
直前の家族についての思いを語るにあたって一歩前へ(つまり左へ)踏み出すコトもこの前後では画面の右側にいます。この位置関係の微妙な変化も面白いです。


さぁ彼はあるべき様にふるまえているのかふるまうべきなのか、分からなくなって参りました。予習編でも既に示されたように、古都の帰還に向けて、そしてそれを受けて話が動いて参ります。
お話は折り返し、続きが楽しみだけどちょっと落ち着いて次回は実写のロケ地訪問?みたいですが、更新するかな悩み中。

母親の包容力の強さである 『京騒戯画』4話


それに比べて父親の影の薄さである。
八瀬が今でも古都を強く慕っていることが描かれた第四話『次女と素敵な妖怪達』でした。
そういえば鬼に描かれたのが嫌だったのは描かれてますが、八瀬自身は父親のことをどう思っているのでしょうね。
いずれ描かれるであろう父親との再会の際にどういう反応を彼女が示すのか気になる所であります。


というわけで兄弟三人に焦点を絞る計三話、今回は八瀬の回でありました。
前回のエントリで鞍馬は未来に目を向けているのかも、というのを書きましたが、今回の八瀬は過去を、そして次回の明恵は現在をその目に大きく映しているのかもしれません。
もちろん、そのそれぞれを彼らが見るきっかけになっていることに「両親との別れ」というのがあるので、それに何らかのカタを付けなければならないのでしょうが。


「モノより思い出」というキャッチコピーがありましたが、面白いのが八瀬は思いっきりモノ=思い出として捉えてるんですね。
ただなくしてしまったお人形を今でも気にかけている様に、モノ自体はただ思い出すためのきっかけであって思い出、記憶とそれは違うものなのですね。そして思い出や記憶はまた作っていくことが出来る。
だから八瀬はコトとともに戻ってきた人形を見ても返してほしいと言わなかったんじゃないかなと思います。


八瀬のお人形もコトが小さい頃から彼女の手元にあったようですが、どういう経緯で彼女の元に来たのでしょう。そもそも駅開きで捨てられたものたちはどうなるのか。
外の世界にポコポコ出てくるのでしょうか。
コトのハンマーで壊したものは治らないの強調がありましたが、この感じだとちゃんと理屈が説明される大事な要素になりそうですね。


コトが不思議に思ったものはなんでもどうして?と聞くのは良いですね。
疑問を抱くということは現状の理解、そして変化へと繋がります。長らく変化がなかったであろう鏡都に変化をもたらす、という意味でもコトのキャラクターは非常に主人公らしいものだと思います。


さぁ次回は配信版でも人気のあった(と思う)エピソードをベースとしたであろう明恵回。そして全体の折り返し地点でございます。楽しみ。

Surface2を買いました。あと初期設定で?となったことやKindleアプリについて



つい買ってしまいました、Surface2。衝動買いというやつですね。
Windows RTの難点などは理解してから買ったのでかなり満足しているのですが、買う前に自分が気になったことや買ってから引っかかったことを簡単にまとめてみようかなと思います。



写真撮ったけどそういうレビューするのは諦めました笑。
ちなみにカバーはType Cover2の紫にしました。Touch Coverの方にしようかなと思っていたのですが、実際に見てみるとそこまで厚さは変わりませんし、前モデルより外見も良くなってたので(裏側の起毛?がちょっとイヤだった)こちらにしました。

初期設定関連での難点

Windows8系列のPCを買うのは二台めだったんですが、初期設定はmicrosoftアカウントでログインすると同じアカウントでログインしているWin8PCの設定を同期してくれるので楽でした。モバイルルーターなどを複数使ってるのでWi-fiの設定とかが入ってくるのはすごく楽でした。(初期設定後は「設定」→「PC設定の変更」→「Skydrive」→「同期の設定」から即切りました。IEのブックマークとかまで同期される設定がここにあるのはどうかと思います。)
ですが、初回起動でWindowsアカウントにてログインしてしまうとユーザー名がそのMicrosftアカウントのものになってしまいます。そうなるとそのアカウント名が当然Surfaceでも表示されるわけです。
持ち歩くことが基本となるであろうSurface端末でスタート画面(Metro画面)に常時ユーザー名が表示されるのがイヤだったので非表示設定を探しましたがどうやらないらしいという……
これを防ぐためにはmicrosftアカウントではなく端末だけのアカウント(ローカルアカウント)を作成して設定を行えばよいらしいのですが、そうしてなかった自分は時すでに遅し…

スタート画面でのユーザー名表示をどうにかする

色々調べた結果、Microsoftアカウントの設定をMicrosoftのサイトで変更すれば良いという情報もありましたが、自分の環境ではサインイン画面の表示が変更されただけでスタート画面の表示名は変更されませんでした。
どうやらレジストリキーの書き換えを行えば、表示を変えられるようですが、レジストリいじるのをオススメするのはあまりよくない気もします笑
とりあえず「検索」→「regedit」で検索実行→「HKEY_CURRENT_USER\Software\Microsoft\Windows\CurrentVersion\AccountPicture」の「DisplayName]をスペースキーだけ打ち込んで編集したのですが下のSSの様な妙な白いドットがあるのですがひとまずユーザー名表示は隠すことが出来ました。

パスワード認証を簡略化(PINコード設定)

それと持ち歩くことに関してだと、携帯する端末にパスをかけないのはちょっとこわい。けれどandroidiOSになれてしまった身としてはいちいちパスワードを(ソフトにしろハードにしろ)キーボードで打ち込むのはめんどくさいんですね。
これは「設定」→「PC設定の変更」→「アカウント」→「サインインオプション」からPINコードを設置することで四けたの数字で認証できるようになります。画面上にテンキーが表示されるのもポイント。
ちなみにPINコードでなく画像を設定してその画像上でどのようにタップするかで認証するピクチャパスワードというのも設定できるようです。


設定面で詰まったのはこれくらいでしょうか。元々Windows8を使っていたこともあったのとありがたい先達様達のエントリのおかげで他にアレっと思ったところは基本的に解決することが出来たと思います。

海外版Kindleアプリ使用、及びAmazonアカウントの連携について

Surfaceというかタブレット端末の購入を考えたのは電子書籍、主に取り寄せに時間のかかることの多い洋書をなるべく早く(それと出来る限り安く)入手したいという動機がありました。
ところが2013年11月現在、日本語圏WindowsストアではKindleアプリは公開されていません。
Surface Proの方だとandroidをエミュレートしてそこでandroidKindleアプリを使用するという手があるのですが、Windows RTが載ってるSurface2だとこの手は使えません。
でも実はPCの使用地域設定をいじれば外国版というか英語版Kindleアプリをインストールすることが出来ます。(「設定」→「PC設定の変更」→「時刻と言語」→「地域と言語」から米国などに変更)
外国語版Kindleだと当然日本語の本を読むことは出来ないんですが、当然洋書だと問題なく読むことが出来ます。(インストールした後なら地域設定を日本に戻しても使用に関しては今のところ問題ないみたい。)


米国版Kindleアプリを使うことになるので当然購入元及び、使用するアカウントも米国Amazonを使うことになるのですが、実はAmazon.comと日本のAmazon.co.jpのアカウントを結合させることが出来ます。
アカウントの結合を行うと電子書籍をどちらの国のサイトで買っても読むことが出来るようになります(当然、上記にも述べたように和書は読めませんが)し、どちらの国のサイトで購入するかの設定を切り替えること(自動で切り替わらないことに注意)で、値段を見比べてより安い方のサイトで購入することが出来るようになります。
Amazon.comのアカウントを作り、住所情報を日本にすることでアカウントの結合をしないか?という表示が出る様になります。
自分自身も洋書を主に読むという、やや特殊な使い方を想定する様な状況でしたので、米国Amazonアカウントを持っていて結合をスムーズに行うことが出来ましたが、アカウントを持っていない人はやや面倒かもしれません。
アカウント結合作業や米国アカウントの作成に関しては詳しく解説されてるサイトがたくさんあるのでそちらの方を参照頂ければ幸いです。
ただ既にもう日本Amazon電子書籍を購入したことのあるアカウントで結合しようとすると問題があったり、扱えなくなるファイルなどもあるようですので、そういった経験が既にある方はお気を付けください。


そんなかんじで今のところSurface2を購入して自分はかなり満足しております。元々持ち歩きようのPCとしてWindows RTがどこまで自分の必要とする要件を満たせるかを吟味してからの購入だったので、買って良かったと思っています。
ただ洋書だけでも電子書籍を読みだしてしまうとやっぱり、和書や漫画がこれで読めないものかと欲が出てきてしまいますね。
まだまだ電子書籍アプリに関してはWindowsストア版が皆無といえるような状況なので、簡単に読むことは出来ませんが、調べてみるとebookjapanなど幾つかブラウザ上でも購入した書籍を読めるサイはもある様なのでそちらの方を試してみようかなと考えているところです。
むしろ、もう使ってみたけど○○だった、というような経験があるような方がいらっしゃればぜひご意見を聞かせて頂きたいと思っております。


ちょっと珍しい感じのエントリでしたが、とにかく買って良かったなと思っています。使い倒していきたいです。
どうでもいいですが、今回の色んな設定に関して既存ユーザーさんのブログなどを見てると本当にSurfaceユーザーはみんな艦これをプレイしていて、Surfaceシリーズ持ってるのに艦これやってないのはおかしいんじゃないか、と錯覚しかけてしまいました。やっぱり人気すごいんですね。

魔法ではなくカガクの力だ鞍馬寺 『京騒戯画』3話

前回こんなことを書いていたのですが、

特に元々コトと先生がいた世界がどういうものなのかという説明がこっそり出ているのですがそれはあんまり大きくクローズアップされることはなさそう。

すまんありゃ嘘だった。今回のオチがそれでした。
うーんとはいえだからと言って、それがゆえに家族の再会が出来るかという問題に行くかなー難しいところ。
あと子供たちが黒兎であることも知ってた、これはひどい
そんなわけで今回もでたらめなことを書き連ねていきましょう、第三話『長男と愉快で科学な仲間』


この作品の物語の目的はたびたび繰り返されておりますが、ある一家の愛と再生の物語なのですが、それはあくまで物語の大筋であって、個々のキャラクターのやりたいこと、願望とそれが一致するとは限りません。
文字通りキャラクターの「やりたいこと」と「やるべきこと」が一致する作品もたくさんありますがそうでない場合には、物語が終わった後のキャラクターたちのその後が分からないことがあったりします。*1そういった作品がダメであるとか自分が嫌いであるという訳では決してありませんが、そんな未来が垣間見えるのは好きだったりします。エウレカセブンで主人公とヒロインが結ばれて終わりでなく倦怠期?まで描いたみたいなの。


という訳で今回は、鞍馬を筆頭とした科学組がどうしたいのかということが描かれた回でした。
こうなってくると彼らのルーツが気になって参りますね。絵に描かれた人たちもたくさんいるんでしょうが、まんま神社所属だったらしい伏見やショーコを指しての鞍馬の台詞「彼女がここにきてから初めて〜」からということで、後からどんどんやってきてる人たちもいるということが分かるわけですが、両親がいなくなってから外から絵が書き足されたりすることがあるのか、詳細が分かっていない駅開きでやってきたものなのかとか色々想像が膨らみます。ショーコのビシャマルのレトロアニメはどういうものなのか。ショーコたちを元に作られた作品なのか、もしくはあのアニメからショーコたちがやってきたのか、とかね。
「コトたちの様な客人」は初めてと言われていますが完全にイレギュラーな来訪者はコトだけということでしょうか。


さて、この登場人物たちの願望を描くという点で上手いのは、要するにコントローラをなくして泣いているショーコというのはお人形をなくして泣いていた八瀬と同じなんですね。
でも三人で世界を守っていくために八瀬は人形と決別させられた→大人にさせられてしまったわけですね。
では大人にさせられてしまった八瀬が今願っていることはなんなのか、というのが次回描かれるはずなのですがそのつなぎという意味でもショーコとにらみ合う八瀬というのは面白いですね。予告では捨てられない大切なものがたくさんあると述べていますが、大人服を着せられているだけで内面自体はやはり子供であるのか。その点で言うと、子供の頃から変わらぬままの願望を抱き続けている鞍馬も背伸びをしているだけということなのかもしれません。
だっても明後日もないと、兄弟を窘めている長男ですがそれもやっぱり大人服なのかも。
というかそもそも家族にとっていつまでたっても子供はこども。そういうことなのかも。


画面で言うと、一番好きだったのが、三人議会後の鞍馬と八瀬のやりとりの場面でしょうか、最初画面右側にいる八瀬ですが、会話を通してぐるっと位置が逆転する。とても自然なのですが、どっちが駄々をこねてるのかしらというのが分からなくなる素敵な作り。


そういえばこの作品いわゆる男女のセックス的な性差を現実ほどあんまり意識していない世界なのでしょうか、あるいはコトが特別なのか、長男であったり子息という風に呼ばれていますが、まな板トークがあるように女性としても認識されている感じ。その辺り、予習編にあった「わが王」の台詞につながったりするのでしょうか。
そんな感じで、兄弟にスポットをあてる回が続きます。続くッたら続く。

*1:表現を借りたスタドラなんかはむしろ物語自体が次に進むため(ワコが島から出れるようになることが)の道程であったのでこの辺りはだいじょうぶでしたが