ペニンシュラ型

~私とあなたの不可避な壁~

亡念のザムド各話を勝手に解説していくシリーズ 第23話

配信にて全話視聴済みのrivfiがネタバレにならない程度に、テレビ放映された回の分かりにくいところ、今後に備えてちょっと大事なところなどを書いていくコーナーです。あくまで私の勝手な解釈なので間違ってたらごめんなさい。


そろそろどう解釈して良いか不安になってくる部分が多いので念のためもう一度だけ弁解しておきますが、ここで私が書いていることはあくまで私がそう考えると筋が通るな、という物語の解釈を書いているわけです。
心で触れ、考えるアニメといってるだけあって、おそらく宮地監督も正しい答えを説明する気はないようですし、ここで書いている解釈以外にも当然、ここはこうじゃないかという考えは出てくると思います。
というわけでこのエントリ群も、一応の答えが欲しいであるとか、自分の考えを出すにあたって参考にしてほしい、という程度のものとして受け取っていただければ幸いです。


さてさて、23話解説ですが、自分で言うのもなんですが、最初のPSネットワークでの配信の際に23話までの内容をまとめたエントリがあってこれが自分でやったとは思えない出来で書けています。当時と思ってることが多少違ったりしますが、このキャラが今何をやっているのか、または目的などが分からないということがもしあれば↓の記事を参考にすれば理解していただけるのではないかと。

というか今回はそんなに述べることがないよ。



〜色々と解説〜

  1.伊舟たちの色々が突然過ぎて分からないよ!!
本当に突然でした。ラドウって誰だよ!!まぁこのタイミング以外に伊舟がなんでレジスタンスしてるかっていう理由出せないでしょうし。
単純に伊舟の恋人で以前のレジスタンスのリーダーということでしょう。詩集を読んでたということから、一話で伊舟が朗読してた『魂』とか影童子が読んでた『敵について』も現実世界同様に詩として存在してるんでしょう。茨木さんがすごい。


  2.復習、大巡礼ってなに?
前のエントリでも説明しましたが、今回更にゼーゲンドォの台詞で『魂の間引き』という表現が出たので復習。
胎動窟に集まっているヨホロギさんその他の魂を使って、黒き闇(ヒルケン)を相殺するというわけですね。


  3.なんで雷魚ここで死んでしまうん?
上の文章は関係ないんですが、いろんな感想などを見ているとよく出る疑問の中に、なぜあそこで雷魚ザムド化してなかったか、そうすれば死ななかったのではないか、というものがよく出てくる気がします。
シンプルに考えればザムドになってしまったら伊舟とコミュニケーションがとれなくなるという理由が挙げられますが、むりくり考えれば雷魚ザムドの役割を放棄していたからという風にも読み取れます。
伊舟が一目であの化け物がヒルケンだということを理解していたところからも、彼女らは大巡礼がどのようなものであるかを理解していたのではないでしょうか。だからこそ、ザムドとしてでなく人として伊舟のそばで戦うことを選んだ雷魚は一応人の姿で戦っていた、とか。*1


今回は各キャラクターがどのような目的で動いているのか、ということが分かっていればそんなに難しいことはでてこなかったんじゃないかと思います。もしあればまたコメントなりなんなりで。


〜チェックポイント〜

  1.「誕生、ヒルケン皇帝」というタイトル
この「誕生」というのがクセモノでヒルケンはあのタイミングまで誕生していなかったという疑問が浮かびます。護衛みたいな僧兵は「午睡を邪魔するな」みたいなことを言っていますが、だとすると寝てるだけ?
さて、たびたび言っているようにこの亡念のザムドの世界では名前がないと、自己の存在証明が出来ません。名前を失っていたからこそ、アキユキは仮面を被り、我を忘れてしまっていました。(逆にハルに名前を与えられたからこそアキユキは復活できました。)
実はヒルケン皇帝というのはヒルケンという名前の皇帝という意味ではなくて“ヒルケン皇帝”という役割があると考えればいいでしょうか。大巡礼において“ヒルケン皇帝”という役職が必要とされているので名がなくともその存在はかろうじて、つなぎとめられているわけです。
名がなく自己の存在証明が出来ないのならばどうすればいいのか。そこで彼が読んでいた詩です。

いいえ 邂逅の瞬間がある!
私の爪も歯も耳も手足も髪も逆立って
敵!と叫ぶことのできる
私の敵!と叫ぶことのできる
ひとつの出会いがきっと ある。

敵として、ただ一人の代替の効かない存在として認識してもらう。なんだこの唯心論。
だからこその「早く私を殺しに来い」なのでしょう。敵として認識してもらうことが自己の証明にもなり、それが彼の喜びになる。
大巡礼が迫っていてどのみちヒルケンは目覚めることになったのでしょうが、もしかしたら伊舟がヒルケンの元にたどり着いたことでその誕生は少しばかり早まったのかもしれません。
12話でナキアミの元を影が襲ったのも大巡礼に関わりそうな人物に認識してもらおうという意図があったのかも、などと考えたり出来ますね。


このあたりは非常に25話の展開に関わってきますので、放送前に書くべきか否か非常に迷ったのですが、申し訳ないことに更新が遅れてしまい、既にmbsでは25話は放送済み。東京MXでは今日の放送ということで思い切って書かせてもらいます。
もし25話未見でこの文を見てしまったのならヒルケンの言葉がどういう意味になるかの参考としてもらえれば、と思います。


  2.お母さん
最近はご無沙汰でしたが、この作品のテーマの一つとして「母と子」というものが挙げられます。
さて、今回の話では冒頭にてミドリの台詞、そして白髪集団の攻撃を受けた南軍の通信から聞こえる断末魔の叫びが共に「お母さん」という風になっています。
ミドリは最終兵器としての誕生に際して、通信兵はその死の間際に対して、対極にある状況において母のことを叫ぶというのはなんとも象徴的です。


  3.ハルのリアクション
胎動窟から出てきたアキユキとハルが南政府の飛行船を見つけての台詞が非常にこの作品らしいものになっていたのに気付かれたでしょうか。
ハルは最初、胎動窟に来た軍隊を「内乱を止めに来たのか」という風に考えます。しかし、実際のところはアキユキの言う通り、胎動窟に集まっている人々を殺しにきているわけですね。
16話で同様にヤンゴが南の船を見て一言言う場面がありますが、ここではハルが元々南側の人間(というか軍人してたし)であるから、無意識のうちに南軍を味方=正義として考えてるから出てくる発想でしょう。
このポジションによる見え方の違いというのをサラッと書いちゃうのがおもしろい。 


  4.ひとりぼっちになってしまう
ナキアミの回想により、どうして彼女がサンノオバの元を離れたかが明かされましたが、ここで同時に彼女の考え方が生まれたかということも分かりましたね。
今思えば、最初から「生きたいのなら、そう願え」という言葉自体もルイコン(サンノオバ)の教えによるものではなく、彼女が自分で出していた答えだったんですね。
サンノオバは魂(ヒルコ)であるとかルイコンの流れ(輪廻)といった価値観で生き物を慈しもうとしているのに対して、ナキアミは一緒にこの世界で生きていたいということに比重を置いてるということでしょうか。


23話はこのあたりで。前回ラストでも書きましたが、今回脚本書いてる大野木さんはエウレカセブンでもゾーン突破後にレントンエウレカが不和になる回を書いてましてそういう視点でアキユキとハルのケンカを見ると少し面白かったりします。
それではこのまま24話分の作業に移ります。


22話分はこちらで↓

24話分どうにか間に合いました↓

*1:あとザムドになってても銃撃でダメージを受ける描写はあるのでザムドになってても防げなかったと思う。あくまで防御力あるのは腕だけみたいだし。アキユキが腕の形変えるみたく、掌中で水を盾みたいにしてたのかもしれない。