ペニンシュラ型

~私とあなたの不可避な壁~

亡念のザムド各話を勝手に解説していくシリーズ 第19話

配信にて全話視聴済みのrivfiがネタバレにならない程度に、テレビ放映された回の分かりにくいところ、今後に備えてちょっと大事なところなどを書いていくコーナーです。あくまで私の勝手な解釈なので間違ってたらごめんなさい。

さぁここから面白くなるぞ!!そしてますます分かんなくなるぞ!!さぁいかにしてロマンスの花は咲いたか!!
とはいえ、ちょっと気になって調べてみたところ、26日に東京MXで放送されるのは20話。けれどもCBC(名古屋)で放送されるのは19話。そして土曜日、29日にMBS(関西)で放送されるのが20話と、見事にばらばらに内容が散るあうとしてしまっているので今後の更新するタイミングをまたも考えないといけません。
まぁここ一月ほどまともに更新で来ていなかったので、そんな羽目にならないようにはどうにかします。
というわけでいつもの解説はじまり。名古屋の人用に折りたたんでおこう。


〜色々と解説〜

  1.どうしてハルはアキユキのいる場所が分かったのは何故なんだぜ?








愛の力です。
いや、ホントになんであんなタイミングがいいことになったのかは分かりません。
無理に解釈するならば、本当にあてもなくハルがアキユキを探すつもりだったとして、おそらく街とか集落をしらみつぶしにあたっていくつもりだったのでしょう。きっとそうだ。
で、前回のハルが北へ渡る際のルートを調べている時に司令官の口からアマウ山脈がどうの、という台詞があるのでおそらくアマウ地方はかなり南側に近い地域なのでしょう。それで、運よくハルはアキユキに会えたと。


  2.影童子というか、ヒルケン皇帝は結局なにがしたかったんだい?
いやぁ、初見時は驚きましたね。おそらく影童子ヒルケン関係のキャラクターだろう、と声から判断していたのでそれ自体はたいしたことなかったんですが、むしろヒルケンの姿があのOPに出てきていた石像みたいなのだった、ということにはびっくりしましたね。やられた!!と思った。
今でこそ『Back on my feet』版のOPがあって、見るからに敵のザムドかなにかだろうな、という予測が立てられますが、配信時の『Shut up and explode』のOPでは本当にただの石像ですからね。てっきりどこかの遺跡か何かかと思っていて、アレ自体がヒルケン皇帝だなんて思いもしなかったものです。
さて、本題。ヒルケンは何をしたかったのか、もしくはアキユキに何をさせたかったのか。
これは劇中そのまんま、アキユキの名前を思い出させたかったというのが答えになります。ではどうしてそんなことをする必要があったのか。
まずは前提として、ザムドヒルケンもたびたび登場するキーワード、大巡礼に大きな関わりがあります。というかむしろ、大巡礼においてザムドヒルケン皇帝というのは対にあたる存在です。そして両者とも大巡礼のためだけに生みだされた存在でもあります。
またヒルケンはアキユキがザムドであることを認識しています。そして自分は大巡礼においてザムドと向き合う運命であることも知っています。このあたりはむしろ本能に近いものなのかもしれません。
要するにヒルケンは来るべき大巡礼にあたってはザムド(この場合はアキユキ)という「敵」の存在が必要であり、その存在を求めているということです。それではこの亡念のザムドの世界において相手の存在を証明、認識するために必要なものは何でしょう?
そう、名前です。今回のセリフにも名を持たぬ者には居場所など与えられない、などとありますね。
だけど、当のアキユキは名を忘れ、仮面をつけ、我を忘れてしまっており自己を認識できていない。これでは「敵」になりえません。だって自分が何者かもかも分かっていないものがその課せられている役目を執行できるわけがないからです。*1
また、このあたりは23話あたりで詳しく解説する予定ですが、ヒルケンは誰かに「敵」として認識してもらう必要がどうやらあるようです。
よってヒルケンは「敵」であるアキユキに名を取り戻してもらう必要がある一方で、自分が何者かもわからぬザムドなど不要なのです。だから、「(名前が分からぬの)なら、死んでしまえ。」という台詞も発せられるわけです。。*2
ちなみに、なんでアキユキが影童子の言うことを聞いているかというとそのまんま、我がないからだと思います。


  3.なんでアキユキの仮面はとれたの?
2を読めばだいたい分かると思いますが、ハルに名前を呼ばれたことで、アキユキという自己の存在を再認識し、我を確認できたからです。同じ名前を再度与えれば、元の存在に戻るというのがポイント。新しい名前を与えた場合は前回もちょっと触れたように、別の存在として規定されたことになるので、それまでとは別の道を歩むことになるようです。
でもアキユキは大丈夫。その名前をハルが「これからだって何度でも呼んであげる」と言ってくれたから。


このあたりをある程度理解しておかないと最終話前後でたぶん本当に訳が分からなくなると思います。テストに出るよ!!



〜チェックポイント〜

  1.どーみてもエウレカセブン26話「モーニンググローリー」いわゆる空から降ってくる系のお話への一つの答え
百万回は言われてそうですが、当然です!!この作品の監督、宮地昌幸はそのエウレカ26話の絵コンテを担当しています。もっと言えば、副監督を務めた「千と千尋の神隠し」などにもクライマックスで空から落ちるところを二人が手を取り合って助かるというシーンがあります。そうです。これは宮地監督お決まりの演出なのです。ワンパターンとか言うの禁止
これはいわゆる“空から女の子が降ってくる”お話への一種の答えではないでしょうか。空から降ってくることに遭遇するだけではあくまで主人公は受身の形になってしまっています。
でもこの空で二人が手を取り合う演出は受け身ではなく自ら積極的に相手を助けに行こうという意思が入ってきているのではないでしょうか。それに、ここで手を取りに行くのがハルなのが良いんですよ!!
さらにこのシーンでは手を取られるのがアキユキからハルにすぐに変わっていったように、助けられる側の存在が逆に相手を助ける存在でもあるという二人の関係をも表現しているんじゃないでしょうか。
しかもそれを見た先達がそれをすてきと評する。須磨子さんかわいいよ須磨子さん。
というかどう見ても旅立つ前の三人が新婚さんとその母親だった件。


  2.また雨が降ってきた
雨といえば、そうフルイチです。冒頭のミドリと垣巣の会話「私もそう思っています」のシーンですが、ここはどう見てもフルイチの「友達、でした……」のシーンと演出を似せてきていますよね。
ミドリもフルイチのような末路を歩んでしまうのか。それとも違う道を行くのか。
また冒頭のシーンといえば汗馬博士とアザミのやりとりの空気が異質ですね。宗教が良く分かるアニメです。


  3.手紙
言葉だけでは気持ちは伝えられない、という姿勢はこの作品の中でもよく出てくるテーマの一つです。
それに対するアプローチの仕方という意味で今回のお話は面白い対比が表現されていたと思います。
言葉はいつも心に足りないからこそ、何も伝えずに腰をあげた伊舟と、全ての気持ちが伝えられないからこそ、ありったけの思いをこめて“ありがとう”を贈るアキユキと。
ここで絶妙なのが、雷魚オイルにサビが入っているという台詞を言わせていること。サビが入っているといったら、フサが自分の家の水道の水を指して言っていた言葉。つまり、サビ=母親役のキャラクターのある心情を表しているわけですね。
いや、しかし、アキユキは良い主人公です。なんだかんだで悲しい目をした、とか言う風に表現してナキアミの本質を理解しているわ、仮面を外したらイケメン度が急激に上昇しているわ、本当に良いキャラクターだと思います。
また、手紙といえば、ナキアミもテシクの里に別れのメッセージとして花を残していっていますね。


他にもさらっと大巡礼においてタマヨビがいないとサンノオバは何も出来ないだとか、須磨子さんの声がエコーかかっててしかもかなり距離が離れてることからタマヨビの力についての表現だとかがあったりしたわけですが、ひとまずこんな形で。
分かりにくいところが他にもあればコメントしてください。


18話の解説はこちら↓

20話分はこちら↓

 

*1:ここでは大巡礼においてザムドの果たす役割のこと

*2:別にザムドはアキユキ以外にもいるので死んでも構わないけど、そりゃ出来るものなら確実に自分の元に来れるくらいにヒルコの意志(ここでは大巡礼の参加)を読み取れるザムドを確保しておきたかったのでしょう。だから大巡礼が迫ってきているので時間がないとかの台詞も言う