ペニンシュラ型

~私とあなたの不可避な壁~

意識について

 
今週のジャンプの『トリコ』読んでてなぜか思いついたこと。
 
『トリコ』はうまいこと、ハッタリとリアル(っぽいこと)を混ぜて荒唐無稽な内容を納得させてると思うんだけど、今回の意識がどうとか、殺気がどうとか、っていうのは確かにそういうトコは確実にあるよなぁって思った。
 
作中の例にも出てたけど、確かに動物とかは人間どもの意識が、自分にどういう風に向いてるのかしっかりと把握してる。
人間、というか僕達も規模は小さいけどそれに似たようなことはできると思う。あ、この人仕事は一応やってるけど、別のこと考えてんなぁ、とかそんな感じ。
 
そういうものを察知するのには、しぐさとか目線とか表情とかを見ればいいんだけど、たまにそういう兆候がなくっても、意識の変化みたいなものは感じ取れると思う。
 
ところで、意識ってなにか、っていう話になった時に、けっこうよく言われるのは、意識とか人格っていうものは電流じゃないか、という説。動物の思考の根源である脳が電気で動くんだから、この考え方が出てくるのは至極当然だ。私に専門的知識はないからはっきりしたことは言えないけど、面白い話だと思う。
で、意識が電流っていうのが正しいとするなら、Aさんの意識の電流を、何かの拍子にBさんが受信してしまうことがあってもおかしくないはず。ちょうど、リモコンとか携帯とかの電波が混線しちゃう感じで。
そうするとBさんはAさんの考えとかを読めちゃうんだろうか。それとも、ソフトウェアは同じだけど、使うコーデックが違う、見たいな感じで読み取れなかったりするんだろうか。
 
そう考えると、猫とか鳥とかが人の意識を感じるっていうのも、人の電波を感じ取れてるからっていう風に言えるかもしれない。他にも、その意識電波の感知装置とか出力装置が他の人より強い人は、ちょっと前に流行ったサトラレみたいに気持ちを他人に読まれたり読んだりすることがあったりするんだろうか。
 
もっと言うと、電気で動く機械に意識というか心みたいなものが生まれたとしてもおかしくないように思える不思議。
 
 
そうです、どうせ私はマンガ脳です。ゲーム脳です。SF脳です。
 
ただし、SFはSFでも私の場合、“すこし ふしぎ”です。