“メガネ” という属性について
男キャラ女キャラ限らず、メガネ属性*1って人気あるじゃないですか。
一昔前までは、メガネっていうのは秀才とか委員長とか暗いとかクールとかそのキャラの別の違った性質や属性を表すためのアイテムだった*2んだけど、最近は“メガネ”それ自体がキャラクターの魅力に直結するようになってきた。
うん、当然、上にあげた色んな描写のための表現の積み重ねがメガネ単体の魅力を生んでると思うんだけど。
かくいう私も、好きですよ。メガネキャラ。もちろん男女問わず。
『リストランテパラディーゾ』とか素晴らしいですよ。あれは絶対作者の妄想力のたまものだ。
『リストランテ〜』の女の子版みたいなマンガないですかね。あったら即買うのに……*3
で、ふと振り返るのですが、日本人ってたぶん世界で一番視力悪い人種なんじゃないですかね。
昔の海外映画で日本人役を演じてる役者がみんなメガネかけてる、みたいなお約束があったくらいですから、日本人にメガネ人口が多いというのは世界的にも周知の事実なのです、きっと。
あと、最近もあるのか分かんないけど、メガネで出っ歯でカメラもってるっていうアレとかね。
かくいう私も眼鏡をかけてるわけですが、それを鑑みて眼鏡をかけてる自分がメガネ男子、メガネ女子に萌えだの、なんだのいうのはなにやら薄ら寒い事態なのではないかと気付いたわけです。
なんで自分が持ってるハズの性質というか個性みたいなものに魅かれなければならんのか。
わざわざ非現実に現実の最たる壁であるハズの自己の一属性を求めねばならんのか。
たぶん、これは私だけの話じゃないはず。
これだけメガネキャラに対する需要みたいなのがある中で、メガネキャラを愛でる人がみんな視力がいいはずがない。
普段はコンタクト使ってるって人でも自宅では外してメガネってことは多いでしょうし。
なぜ自らが日常的に使ってるはずの道具に魅かれるのか。
これを変質化したナルシシズムみたいに見ることもできるのでしょうが、それはなんか違う気がする。
どうなんだろ、これって。