ペニンシュラ型

~私とあなたの不可避な壁~

非現実が常識としてある世界 『でろでろ』を経て『ゆうやみ特攻隊』『ミスミソウ』へ続く押切蓮介の世界

 
『ゆうやみ特攻隊』3巻が本日発売だったので、先日発売だった『ミスミソウ』の感想とあわせて何かひとつ。
いや、でも押切蓮介先生は本当に天才だと思う。
 
よく押切作品の特徴を評する時には、(少なくとも私が見た事のある記事とかでは、)『でろでろ』が例に挙げられて、
「今まで見えないものとか触れられないものとして扱われてきた幽霊とか妖怪を、素手でブン殴って倒すなんて、なんというエキセントリックな作品を描くんだ。」みたいなことを言われるのが多い気がします。
私はこのタイプの言説には、否定するわけでは決してないんだけど、何かしっくりこない、もっと良い言い方があるはずなのになんだろうなぁ?みたいなことを常々考えてたりしました。
 
で、今回、『ゆうやみ特攻隊』『ミスミソウ』を読んでみて、それに加えて以下の記事を読ませてもらって、やっとそのしっくりとこない押切作品の味みたいなものを言葉で捉えられたような気がします。
 
答えと価値観の崩壊したセカイしか、見えない。「ミスミソウ」二巻 −たまごまごごはん−
 
上のたまごまごさんの記事に書かれてる
>「常識だったら」という当たり前のことが、どんどん見えなくなってしまう
という文章を見て、某コナン君のように頭に電撃が走りましたよ。あぁそういうことだったのかと。
いや、私そんなコナン君みたいに頭よくないけどさ……
 
押切作品において、一番重要でかつ頻出であるファクターが幽霊とか妖怪のいわゆるオバケであるっていうことについては、多分否定されることはないんじゃないかな。
私が思うに、押切作品の特異なトコロというのは、その幽霊とかオバケっていう非常識なモノが、その作品世界において当たり前、もしくはよくあるモノとして描かれていること。
そりゃもちろん、オバケさん達が出てきたときには、登場人物たちはビビッて叫ぶし、時には気絶までします。でも、そこからの復帰が早い。警察官のキャラクターが出てきても、最初はオバケにビビッてても、次にどうするかっていうとちゃんと(?)逮捕して、事情聴取したりするんだよね。でろでろでも、オバケの転校生とかが結構登場するんだけど、それを耳雄達はあんまり抵抗なく受け入れてしまう。
 
コレを踏まえて考えると、押切作品の凄いところは、別にそういう、この作品は普通じゃないものが普通に存在する世界ですみたいな説明はまったくしないのに、私たち読者にそういう感覚を与えてる、ということ。しかも私たちの無意識下で。
たぶん、これは押切先生が自分が絵があまり上手くないというのを自嘲的に扱ってることの一つと思うんだけど、時々彼は意図的に、オバケと普通の人間の区別がつかないような絵を描くことがある。初期短編なんかはそれが更に顕著で、深読みすれば、ラストで主人公が、自分を助けてくれたと思ってる人達ってのは、実はオバケでこの話はバッドエンドですよ、っていう風に読める作品が結構あるのよね。
 
端的にいえば、ありえることとありえないことの境界が非常にあいまいな世界を描いてる。
今、この瞬間、あなたの隣にいる人がひとではないかもしれない。そんな世界。
更に言えば、そこで普通なら私たちは驚いちゃうんだけど、押切作品では、あ、そうなんだ。あるある、で済んじゃう。
なんだこの危ういバランスの世界……
 
ここまでで、『ミスミソウ』『ゆうやみ特攻隊』以前の押切作品を評すのだったら十分だったんだけど、この最近の二作品の話の展開を考えてみるとそれだけじゃとても表しきれない状態になってしまった。それほどまでにこの二作品が持っていった展開ってのが素晴らしい。
 
今までの押切作品のあとがきで作者は度々、「自分はオバケに会いたいから、オバケ作品を描いてる。こんな自分をバカにされるような作品を描いてたら自分だったら文句言いに行くから。」みたいなことを言ってる。で、結構長い間、オバケを描いてきて、たぶん、彼はこの二作品を書く前にある程度気付いてしまったんじゃないだろうか、オバケなんていない、ってことに……
 
いや、妖怪好きの私としては、妖怪とかオバケはいないからこそいるものだし、完全に存在を否定しきるのはイヤなんだけど、そのあたりかいてもしょうがないので、とりあえずスルーしよう。泣
 
非常識が普通にある世界を描くに当たって、オバケなどいない、と悟ってしまった押切先生は次にどうしたか、その答えが『ゆうやみ特攻隊』『ミスミソウ』にある。
 
とうとう彼は、非常識的なありえないものとして、今度は“人間”がそういうものだと設定してしまった。
今までの作品にもそういう方向の作品はいくつかあったんだけど、全面的に押し出したのが、この二作品だと思う。これって本当に恐ろしいこと。
 
『ゆうやみ特攻隊』はまだオバケといった存在がでてくるけど、黒首島編に入ってからは、オバケ(ミダレガミ)という形を借りた恐怖に支配された人間が敵となって登場してくる。3巻のやりとりにもありました。
「こんなことするのは……人間なんかじゃない」という台詞を受けての「人間じゃない人間ってなんなのよ。」
人間とオバケの境界がもう全くわからない。作中にしっかりとした正しいオバケは何度も登場していたはずなのに。
これは本当に恐い。人間って何?
 
ミスミソウ』なんかは更にそれを発展させてる。そのものズバリ人間がみんな恐い。醜い。ありえない。
ネタバレは好きじゃないんだけど、二巻ラストでは数少ないまともな人間のように見えていた相場君でさえ、おかしいのではないのかという兆候が見えてくる。アレ、人間ってみんなおかしいのか?ありえないのか?
 
何回も言うけど、押切作品の世界は、ありえないものが普通に存在する世界。だから、いくらねぇよっていうことでも、読んでいる私たちは違和感なく読み込めてしまう。
そんなことを繰り返す内に、私たちは何が普通なのか解らなくなってしまう。そうか、人間ってこういう生き物なのか……
 
 
そんなこんなで『でろでろ』等でオバケを描き続けている作者が人間の鏡、もしくは人の本質としてのオバケを描いたのが、『ゆうやみ特攻隊』、更に人間のこわさを昇華させて描いたのが『ミスミソウ』。こんな感じの流れで捉えれば解りやすいかな、と思います。
『でろでろ』はともかく、あとの二作品はその描写上あんまり人に勧めにくい作品ではあるけれどこれは漫画好きなら読むべきなんじゃないかな、と。さらに個人的趣味をいうなら、もっとこういったジャンルの、ホラーMだけでなくネムキ系とかをみんな読んでほしいです。このあたりはあんまり注目されるところではないだけど、結構いい作品が眠ってますよ。
 
話がちょっとそれちゃったけど、押切先生の最近の仕事ぶりはスゴイ。どんだけ連載もってんだ…
もうたぶん押切先生がオバケだと思う。
というわけで、今回もちょっとした押切作品出版ラッシュなんでみなさん注目ですよ。
 

ミスミソウ 【三角草】 (2) (ぶんか社コミックス)

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ゆうやみ特攻隊(3) (シリウスKC)

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でろでろ(13) (KCデラックス ヤングマガジン)

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