ペニンシュラ型

~私とあなたの不可避な壁~

真摯な作品とそれを受容する際になぜか生じる笑いとか



というわけで今月号のジャンプSQ天野洋一先生の『エグザムライ』が完結を迎えました。
たぶん今ってマンガを読む読者の視点というか読み方が発達しすぎてしまった部分があって、たとえば中学生のマジメ=カッコ悪いの風潮のような、昔ながらのまっすぐな少年マンガがギャグ、笑いとして受け入れられてしまう、ということがあると思うんです。
たぶんその典型例がテニスの王子様とかちょっと前くらいからのリボーンとかだと思うんだけど、昔ながらの少年マンガのフォーマットで今まじめに作品作りをするとああなるんじゃないかなーという印象があるんですね。
それで本題なんですが、『エグザムライ』はその風潮を超えたところで、ほんもののギャグといいますか、もはや次元が歪んでる、あのエグザイルをマンガにする、しかもサムライで、バトルで、少年マンガで、という正真正銘おかしなところから企画されてしまった、ある意味で忌み子だった作品じゃないかな、と。
この呪われた企画を最初から最後までしっかりと、正統派な少年マンガとして、しかもおもしろく描き切った天野先生はすごいと思う。今月出るSQの増刊で天野先生は新作を発表されるみたいだけど楽しみです。というか最近こういう真摯な少年マンガが少なすぎるのかもしれない。
『エグザムライ』もなんというかネタというか笑いのための消費を多くはされてる様な印象がして非常にもったいない気がする。


そういう感じで作り手が非常に真摯に作ってしまったがために、なぜだか受容される際に笑いに転化してしまうことがよくあると思うんです。これはバクマン。でいうシリアスな笑いとも少し違っておそらく、描いてる本人は笑いになると思っていない、『へうげもの』とかもそうだと思うんだけど、まっすぐに描きすぎると受容する側のキャパがオーバーしちゃうことがあるのかもしれない。だから当然、読者の方もシリアスな笑いとちがって作者がまっすぐに真摯に描いたそのままに受け止めることが出来る人も当然いる。これが出来る、出来ないからということで優劣みたいなものはないと思うんだけど、もしかしたらどこまで色んな作品を読みこんできたかみたいな経験値で違いが出てくるのかもしれないなーとかぼんやりと思っていたりする。*1


それでいうと、今期のアニメ作品でまさしく、なぜだかネタ、笑いとして消費され始めている様なんだけど製作側は本当にマジメに真摯に作っているんだろうなぁという作品があってまだ一話が放送されたばかりなんだけど非常にこれから見ていくのが楽しみです。これをそういう風にネタとしてのみ見ていくのは本当に勿体ないと思う。



この『うたの☆プリンスさまっ♪ マジLOVE1000%』、ニコニコでも一週間公式配信しているようなので見ていない方にはぜひ見ていただきたいなぁと。ここまで述べてきた主旨に沿って言うならばコメントはオフして視聴した方が良いのかもしれない。
元々がいわゆる乙女ゲー原作の作品だからキャラクターも立っているのはもちろんなんだけど、この第一話なんかその点でいうと各主要人物の紹介、主人公であるヒロインとの出会いを描く必要があるわけだから、これだけの数のキャラクターをさばいて時間内に描き切る必要があって難しいと思うのだけど、それを非常に上手にテンポ良く、視聴者が飽きないように見せて、かつ主人公のバックボーンに触れるということまでしっかりやってしまっている。
作画も含む画面作りという面でも、たとえばなめらかライブシーンを流しっぱなしにするという作りのOPにおいて、単調にキャラクターに踊りの動きをさせているだけでなくて、各キャラクターごとにそのダンスの動きのクセであるとか意図をこめた違いを含めて描くってのは作業量からいっても非常にハードなはずなのに、そこに効果として観客の声援まで加えている。ここまで凝ったものっていうのはそうそうないですよ。
おもしろいです。


というわけで、真摯に作られたものは真摯に見ていきたいなと思うのでした。
りぶの(id:rivfi)は『うたの☆プリンスさまっ♪ マジLOVE1000%』を応援します。

*1:ここまで挙げてきた作品を見るに女性の方がその傾向が強いのかもしれないけど、すごい印象論だからどうなんだろーなー