ペニンシュラ型

~私とあなたの不可避な壁~

支配ということ


今月に入ってマトモに読書してないことに気付いたので、SFの大御所フレドリックブラウンの『天の光はすべて星』と伊坂幸太郎先生の『魔王』を買ってきた。
前者はグレンラガン関係もあるけど、SFものを読みたかったのでチョイス。
後者は今度出る『モダンタイムス』が魔王の50年後ということなので復習。(モダン〜はモーニング連載中は読んでなかった。)


で、途中まで『魔王』読んでてムニャムニャと思ったこと。
最近の作品における「世界征服」とか「支配」の意味合いが、変わってきてるなぁ、ということ。*1
ちょっと自分のなかでも整理がついてないんで簡単に。


一昔前の作品内での世界征服っていうのは、それこそ単純に悪い奴が「オレが世界で一番偉くなってやる」みたいな感じで、(主に自分が)自由にやりたい放題するためとか単純な理由が多かったと思う。
別パターンでは、「人間は死ぬべきだから、俺が世界制服して、古代から伝わる強大な力を手に入れて世界をぶっ壊してやるぜ。」的な破滅型があるくらいかな。


でも、最近は「みんな等価で、一緒な世界つくれば平和になる」とか「みんなの不満をなくそう」みたいな敵方の考える正義みたいのを推し進める過程や結果にあるのが世界征服っていう形の作品が多いと思う。
ギアスの神殺しとか、SEED DESTINYのディスティニープランとか。
こういう形が多くなったのはいつからなんだろうか、やっぱ「人類補完計画」から?


思ったことをダラーっと書いただけなのでツッコミどころが多いと思うけど、自分でもよくわかんないのでむしろツッコミもらった方がすっきりするかもしれないな。
 

*1:そういったテーマが出てきても違和感のない作品世界の都合上、アニメとか漫画とかそういう系統の作品に限られると思うけど。